『コクリコ坂から』を観てきました。

しっかりと公開日に観てきたのですが、すっかり感想やら何やら書くのを忘れていました。こういうのはだめですね、見たときの鮮烈な印象を残しながら、印象というのは書くべきです。

ジブリで恋愛をテーマにしているとすれば、「耳をすませば」がすぐに浮かぶと思うのですが、コクリコ坂からは恋愛要素があるとして告知されていたので「耳をすませば」的な印象を受けたとか、そういったものを想像していたという感想が多かったように思います。

だけど「耳をすませば」のテーマが果たして恋愛なのかどうか、というと、私はそうではないと思っていて、もし純愛とするなら、「コクリコ坂から」のほうがふさわしいのではないかとおもいました。

「耳をすませば」との比較ではじまる内容で申し訳ないのですが、さらに他のジブリ作品と比較してしまうと「ハウルの動く城」はそれぞれの登場人物の心情が伝わるものがあったと思います。それはきっと「台詞に命が吹きこまれていたからではないか」と。

「耳をすませば」でいえば天沢聖司の

雫、大好きだ!

という短い台詞はとても印象的でしたし、「ハウルの動く城」のハウルがいった、

なぜ?僕はもう十分逃げた。ようやく守らなければならないものができたんだ。君だ

という台詞も、人に対する想いが、魂がこもっていると思います。
もちろんその台詞を伝えるときの所作についてもとても印象的でしたし、命を吹きこんでいる声優さんの声も、真に迫っていました。

一方で「コクリコ坂から」で印象に残る台詞があったかといえば、想いを伝える言葉であっても、そこに至るまでの女主人公である「海」の心の動きが今いち読めなかった。

「耳をすませば」で雫は、自分には夢も目標もない、でも天沢聖司にはそれがあって、しかも今から努力をはじめている、と思春期の焦りを灯しながら聖司に惹かれていくのがよくわかりました。

あえていうのなら、「海」が「俊」に惹かれていったのは、言葉や心情では表せない、陳腐かもしれないけれど「運命」なのかもしれません。
「俊」は以前から「海」があげている信号旗に応答していたというのも伏線かもしれませんが、「言わなくてもわかる」という、なんとももどかしいような恋愛模様を描きたかったのかな、と感じました。だから作品にふっと落ちることもなく、ああ、ふたりはもう好き合っているのだと自然に感じるような作品になっているました。

「コクリコ坂から」の印象的なシーンは「海」が仕事で留守しがちな母親の前で涙を流すシーンでした。
彼女は母がいないなかで自分がしっかりしないといけない、でも人を好きになったり、大切な人がさったり、心は不安定で、その中で母が帰ってきて温もりを思い出す。

アニメーションとしては背景美術がとても印象的な作品でした。

ただ自分が大人になってしまったのか、胸が踊らされるような作品といったわけではなく、なるほど、といった感じです。

そしてそんな恋愛の裏には、「海」の父親と「俊」の父親、さらにもうひとりの友人との友情がありました。戦争が行われていた時代の、かけがえのない友情。

宮崎駿は「今は簡単に人を嫌いになれる時代」と言っていました。

確かに、今は実際のつながりよりもインターネット上でのつながりや、交流が希薄になって、ほんの少しの誤解さえも解けずに「友達を簡単にやめる」ことができる時代だと思います。

「コクリコ坂から」には、もっと人が大事にしていかなければならないものについての、友情から繋がられる愛情、親から子供へ、「伝えたいもの」があったのではないかと思いました。

できればもう1度見たい映画ではあるなあ と思います。

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